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山口淑子「夜来香愛の花」の色紙は宝物 「今明かされる―李香蘭、そして激動の時代を生きた女たち―山口淑子本人が告白・李香蘭…70年目の真実…」という長いサブタイトルの付いたTV番組「歴史大河4時間SP・第2部女たちの中国」を観た(7月21日FBS)。 日中戦争のハザマで激動する時代に翻弄され続け、生死を分けた山口淑子(李香蘭)ほかの女性たち(川島芳子、鄭蘋茹、愛新覚羅浩など)の真実を描いたものであった。 だが、山口淑子には、テレビでは語られなかった戦後の、たくましく生き抜いた歴史もある。私は、その一時期を短期間ではあったが、山口淑子と行動をともにした思い出がある。 「夜来香 愛の花 山口淑子」と達筆で書かれた1枚の色紙(印刷)を、当家の拝殿鴨居に掲げているが、これは、山口淑子が1974年(昭和49年)参議院議員選挙(全国区)に立候補する直前に書かれたものである。 当時、限定で印刷されたものの、ほとんど配布されておらず、現在残っているものとしては、当家にあるこの一枚が唯一のものではないかと思う。 当時、参院選全国区(現在はない)で選挙戦の指揮ができる人材は限られていたが、その1人として自民党選対本部から
李香蘭こと山口(大鷹)淑子 『女たちの中国』李香蘭 そして激動の歴史を生き抜いた女たちと言う番組が放送されて。母も見ていました。母も共感する事柄があるらしくて涙ぐんだりして見ていました。昭和の時代、 山口 淑子(やまぐち よしこ、1920年2月12日 - ) 満州(現・中国東北)の炭鉱の町・撫順で生まれ、奉天(現在の遼寧省の省都・瀋陽市)と北平(現在の北京市)で育った、国際的女優・歌手。本籍は、佐賀県北方町。戦前には李香蘭(りこうらん、北京語読みはLǐ Xiānglán)の芸名で、戦後は本名の「山口淑子」の名で活躍した。1958年に結婚のため芸能界を退くも、1969年にフジテレビのワイドショー『3時のあなた』の司会者として復帰。後に1974年から1992年までの18年間は参議院議員も務めた1920年2月12日、中華民國(現・中華人民共和国)奉天省(現・遼寧省)の撫順にて、満鉄(南満州鉄道株式会社)で中国語を教えていた佐賀県出身の父・山口文雄と福岡県出身の母・アイ(旧姓石橋)の間に生まれ、「淑子」と名付けられる。親中国(当時の中華民國)的であった父親の方針から、幼い頃から中国語に親しんだ。小学生の頃に家族
井手チャンポンの特製チャンポン 今日は家族で佐賀県北方町にある井手チャンポンに行ってきました。今回は贅沢して特製チャンポン。たまごが入っていて野菜が豪華です。ここは、麺だけ食べてもそこまでおいしくありません。野菜とスープと一緒に食べるとやたらおいしくなります。ニンニクのアクセントのスープとシャキシャキの野菜。あまり食が多くないうちんともここのは野菜と一緒なのであっという間に食べていました。
北方井手ちゃんぽん 〜ちゃんぽんの富士山に挑む!〜 本日はちゃんぽん♪ 佐賀ちゃんぽんでは一番有名だといっていいでしょう。 「北方井手ちゃんぽん」 小雪さんも先日行かれてて、これは自分の舌で味わうしかないと! 創業60年以上の佐賀ちゃんぽんの老舗として有名なこの「井手ちゃんぽん」。 本店は佐賀県北方町にあるんですが、この支店が諸富に昨年末オープン! 大川市から佐賀方面に向かう国道208号線沿いにあります。
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